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きょうのさようならについて

日附けのある文章

2016年6月30日(木)寝過ぎ問題その3

一日

▼昨日はああ言っていたけど、今日は結局寝てしまった。眠かったという以上のことがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。今日は寝た後だるくもなかったけど、とにかく眠かったのだ。薬を飲んでいる以上、普通でないというのは承知しているけど、最近の自分はちょっと今までと違うような気がする。起きてられない。気合いの問題なのだろうかという気もする。でも、他に何が変わったろう?
 今日は2時にも3時にも起きなかった。7時までほとんどストレートに寝ていたような気がする。毎朝鳴る目覚ましを止める以外は。夢見も良かったし、寝ていたかった。朝食を摂った後も寝た。この睡眠はよくわからない。これが冒頭書いた寝てしまった、ということ。
 何かに向かってく力が弱まっている。でもそうでない時だって何かに向かっていたというわけではないと思う。こうやって考えることはいいことだと思う。そして行動することだと思う。自分を、いかに行動させるかだと思う。お互い手の内は見えている。自分自身なのだから。それでも自分を説得することが大事なのだと思う。
 最近のわたしはどう考えても、寝すぎだと思う。たぶんそれは今年の最初の方のことを思ってる。その時と薬だってそう変わっていない。変わったのはなんなのか。気候?気温?それだけじゃないと思う。わたしが、変わっていっているのだと思う。甘えている。
 やることがない、というところで議論は終わっている。では何をするかということまで、至っていない。わたしのしたいことって何なんだろう。起きる時間を早めてまで、睡眠時間を変えてまでしたいことってなんだろう。わたしは無気力人間だと思う。やる気がない以上に、24時間ではわたしにとって一日は長すぎるのではないか。それは睡眠時間に現れていると思う。そんな贅沢なことを、わたしは言っているのだと思う。いろんな人に怒られそーだ。
 たぶん自分が頑張ってないとか一生懸命でないと思うのはそういうところだと思う。切羽詰まってない。時間に追われてない。時間を惜しいと思ってない。悠長に構えてる。なんとかなると思ってる。
 たぶんなんともならない。
 時間を惜しいと思っていないのは、大きな問題だと思う。わたしはいつ死んでもいい人間なのだろうか。一度死んだから、もういつ死んでもいいと思っているのだろうか。なんだか、滑稽だ。
 寝過ぎているというのは自分にとって、ということだ。世間のことはあまり考えていない。世間からしても寝過ぎなのだろうけど、そのことは、あまり気にしていない。自分史上寝ているということに過ぎない。もったいないというか、するべきこと、できることがあるだろうと思っている。自分をないがしろにしているような気がしてならない。自分を見くびっている。自分のことをもったいないとあまり言いたくないけど、自分にできることをおろそかにしているのではないか。寝すぎるということはそういうこともはらんでいると思う。
 眠ることで、わたしはわたしを回復させているのだと思う。そういう見方もできる。でも、そのことがどこまで自分にとっていいことなのか、わからない。寝すぎだから時間がもったいない、というのは尚早なのではないか。眠ることは自分に必要なことなのか。どこまでも議論はできると思う。病気なのだから、という一手は重い。
 寝る間を惜しんですることがない、ということがわたしの一番の重い一手であることは間違いない。

2016年6月30日(木)26/22℃ 曇り

日報

▼59.80kg
ちょっと増えた。

▼21時→7時、8時→9時(11時間)
今日は結局寝てしまった。眠かった、という以上の何かがあるのかもしれないけど、自分のことを分析できない。

▼瞑想10分(15時半)
瞑想が定着しつつある。瞑想する意味をもう一度考え直したのが良かった。建長寺に行ったことも刺激になった。

▼散歩30分(近くの池)、30分(近くの池)、30分(近くの池)
▼サイクリングなし
▼ランなし
▼12339歩
▼筋トレスクワット3セット
歩いたし、筋トレもした。筋力の衰えを感じた。精進精進。

▼480円
ジュース、牛丼

▼朝食:焼きはんぺん、ざるうどん、ハンバーグと野菜のトマト煮、ヨーグルト
▼昼食:パンケーキ、りんごのサラダ、ウインナー
▼夕食:ゴーヤーチャンプルー、冷奴、かぼちゃの煮付け、小魚の佃煮、小女子、納豆、味噌汁 / 牛丼

2016年6月29日(水)寝過ぎ問題その2

一日

▼日報には書いていないけど、日中、5分10分の睡眠を何回かした。昨日までのようにがっつり寝ることはなかったけど、寝ていることは寝ている。ただ何かしようという意思は感じられたと思う。これであきらめずに明日も明後日もまた。
 こうして書いているだけでもましなのだと思う。と思うことにしている。書いていない自分よりはましだというだけで、世間の人から見たらどちらも大差ないという気もする。そういうこと言ってると書く気が失せるのであまり言わない。自分のために書いている部分が大きいから、ちょっとやそっとではやめないと思うけど、いつかやめる日は来るのだろうと思ってる。書くことにはそんなに大した意味はないと思う。自分の精神安定のためが大きい。
 自分を煽る言葉を持っていない。どういう言い方をすれば自分に火が点くかわかっていない。今までいろんな言い方をしてきたけど、たぶんわたしに効いた試しはない。ただ効いているふりをしているに過ぎないと思う。自分の力で自分を頑張らせることはできないのだろうか。わたしは受験とか仕事とかでしか力を発揮できないのだろうか。今この時が、自分の運命を変える瞬間だとなぜわからないのだろう。わたしは惚けてると思う。
 自分を変えようともあまり思っていないのかも。
 変調は感じているけど、それは変調であって変化とは違う。自分の思った方向へ自分を向かわせたい。というか、わたしは頑張りたいんだと思う。それができない不甲斐なさを日々感じている。感じているだけで、そういう媒介を得ようとはしていない。それは、面倒だからだと思う。果てしなく、面倒くさがっている。友達と会うのもそうだったし、ちょっとずつ自分を変えていけたら、変わるのかもしれないと思っている。でも、それでは時間がかかりすぎる。一人では、時間がかかりすぎるのだ。わたしは信頼の置ける人に言って欲しいんだと思う。でも、わたしを叱ってくれるような人は、わたしの両親を含めても、いない。わたしに何か言える人はそうはいないのだと思う。それだけの信頼関係を築くことはできていない。それが今のわたしの現状なのだと思う。人の輪の中に入っていくことが肝要なのではないか。とにかく信頼する人を見つけることが大事なのだと思う。
 寝ることは神経を張り巡らせた生活の第一歩だと思う。寝ることをなんとかできたら、あとは概ねいいんじゃないかと思えるくらいに。寝ることは大きいことだと思う。その一歩目を今日は踏んだと思えるし、明日からも、だと思う。わたしはできるはず。ただでさえ出遅れている。わたしの人間としての魅力は病気によって半減どころじゃない。なんとか人の輪の中に入るためにも、自分を磨くこと。魅力的な人になること。そうでないと、わたしはどこでだってやっていくことはできないのだと思う。立派な人になること。立派な生活でなくていい。当たり前のことを、当たり前に。